top of page
logo
木村公認会計士事務所

欠損金の税務メリットを、買収価格にどこまで乗せてよいか――プロコンを尽くさないまま進めると、無理筋の要求も飲まざるを得なくなる

執筆者の写真: 仁 木村
仁 木村
5 日前
読了時間: 9分

はじめに

M&Aの価格交渉では、対象会社が抱える繰越欠損金の扱いがしばしば論点になります。「欠損金には将来の節税価値がある」という理屈自体は間違っていません。ただし、それが成立するのは誰と誰の間の取引かによる、というのが今回お伝えしたい実務上の教訓です。また、交渉の進め方という観点でも示唆に富むケースなので、あわせて整理します。筆者が実務で見聞きした、ある企業グループの合弁会社をめぐる株式買い取り交渉の事例をご紹介します。


1.A社側から買い取りを持ちかけた話

B社(S社の親会社として経営の主導権を握っていた会社)とA社は、S社という会社に共同で出資していました。A社にとってS社は、持分法を適用する関連会社という位置づけです。

以前、B社側からS社株式を手放したいという打診があったことがありましたが、その際は条件が折り合わず見送られていました。今回は逆に、A社側の受注が伸び、既存の生産能力だけでは対応しきれなくなったことをきっかけに、A社側からS社株式の買い取りを持ちかける形で話が動き出しました。


2.プロコンを尽くさないまま、言い値を飲んでしまう

生産能力の不足に対しては、S社株式を買い取る以外に、工場建屋を新設・増築する、足元の受注をこなすレベルで既存工場への設備投資をするという選択肢も現実的にありました。

状況が変われば判断が変わること自体は、何もおかしなことではありません。問題は、こうした選択肢のメリット・デメリットの比較検討(プロコン)を尽くした上で判断を変えたのか、それとも検討を尽くさないまま「手っ取り早く手に入れたい」という理由だけで一本化してしまったのか、というプロセスの違いです。今回は後者に近く、交渉のテーブルに乗ったのは事実上「S社株式を買うかどうか」だけになり、代替案を比較のうえで交渉のカードとして持たないまま、B社との交渉に臨むことになりました。

価格に対する両社の考え方も、大きく異なっていました。A社は、S社の事業の先行きを慎重に見て、簿価純資産程度の評価が妥当だと考えていました。これに対してB社は、自ら描いた売上成長を前提とする損益計画をベースに高い価格を主張し、さらにそこへ、S社が抱える繰越欠損金の将来の税務メリットまで上乗せするよう求めてきました。

ここで気になるのは、B社の姿勢の一貫性のなさです。かつて自らS社株式を手放したいと言い出したのはB社の方であり、その時点ではS社にそれほど高い価値を置いていなかったはずです。それが、A社側から「欲しい」という話を持ちかけたとたん、強気の価格設定や欠損金の上乗せといった条件を次々と付けてくる。合弁のパートナーとして、こちらの事情を見て取るや強気に転じるというのは、あまり感心できる振る舞いではありません。それでも代替案という交渉のカードを持たないまま「どうしても買いたい」という姿勢で臨んでいたA社は、この足元を見られた言い値をほぼそのまま受け入れる方向で交渉を進めることになりました。


3.欠損金の税務メリットは、そのまま実現するとは限らない

今回はB社が保有していたS社株式をA社が取得する「株式取得」であり、S社をA社に吸収させる「合併」ではありません。株式取得の場合、S社は消滅せず存続するため、欠損金が他社に「引き継がれる」という話にはならず、S社の欠損金はあくまでS社自身のものとして存続します。

その上で、欠損金には繰越期間の制限があり、将来にわたって相応の利益を出せて初めて価値を持つという性質があります。また、支配関係の異動やグループ内での税務上の扱い方次第で、既存の欠損金をどこまで、どのグループの所得と相殺できるかも変わってきます。つまり「欠損金があるから買収価格に上乗せできる」という主張は、税務上、無条件に成立するものではありません。


4.欠損金の価値を買収価格に乗せることへの違和感

今回のケースで注目したいのは、この欠損金の扱いをめぐる交渉の構図です。B社が上乗せを求めた欠損金は、そもそもB社自身がS社の経営を主導していた期間に生じた赤字の結果でした。

第三者が対象会社を買収する場面であれば、欠損金の将来価値を価格交渉の材料にすること自体は理屈が成立します。買い手は損失の発生に何の関与もしておらず、たまたま欠損金という資産が付いてくる案件を評価しているにすぎないからです。

もっとも、突き詰めれば、欠損金の価値は買い手自身が将来生み出す利益によって初めて実現するものであり、その意味では第三者間の取引であっても、売り手が買い手の将来の稼ぎに乗じて対価を求めている面は否定できません。しかも欠損金は、繰越期間という時間的な制限があるうえ、買い手がその期限内に相応の利益を出せて初めて価値を持つ、いわば実現するかどうか分からない条件付きの資産にすぎません。第三者間の取引であっても、こうした性質を踏まえれば、欠損金の価値をどこまで対価に織り込むべきかは、本来慎重に見極める必要がある論点です。

今回のケースが一線を画すのは、この点においてです。損失を生んだ欠損金そのものは、B社がS社の経営の主導権を握り、その経営判断のもとで生じさせたものでした。一方のA社は、持分を持つ共同出資者ではあっても、S社の経営そのものには関与できない立場であり、それでも持分に応じた持分法投資損失を計上し、配当も受け取れず、投資価値の目減りという形で、経営に発言権がないにもかかわらず、他の株主同様に損失の影響を引き受けていました。その状態で、経営を主導し損失そのものに責任を負うべき立場にあったB社が、その欠損金が将来生む税務メリットだけを切り出し、「価値があるから買い取り価格に上乗せしろ」と、経営に関与できなかった共同出資者(A社)に求めるのは、筋が違うと感じます。「買い手の将来の稼ぎに乗じる」という構図に加えて、「経営を主導し結果に責任を負うべき側が、その責任を負わなかった相手に対して、自らの経営判断の結果を重ねて請求する」という支配権と責任の非対称性が、ここには表れています。しかも前述のとおり、その税務メリット自体、支配関係の異動によって使用が制限される可能性があり、主張どおりに実現する保証もありません。第三者に売る局面であれば、欠損金という資産が結果的に付いてくるという扱いも成り立ちますが、赤字を出した経営に付き合ってきた共同出資者に対しては、欠損金はあくまで経営の汚点であり、対価を求められるような性質の価値ではないはずです。

もっとも、こうした「筋が違う」という主張には限界もあります。ドライに見れば、欠損金を生んだのが経営の失敗だったとしても、それを理由に第三者が支払う水準より安く売れというのは通りません。市場にその価格を出す買い手がいる以上、経営責任論だけで価格を押し下げるのは現実的ではないからです。

ただし、ここで見落とせないのは、第三者が必ずしも対象会社を最も高く評価できる相手とは限らないという点です。A社はもともとS社と共同で事業を営んできた合弁パートナーであり、買い取り後もS社の事業を概ね引き継ぎつつ、生産場所や人員をA社自身の事業にも活用していく予定でした。その意味で、A社にとってS社を手に入れることの意味は、他の買い手が算定する価値とは質的に異なっていました。裏を返せば、B社にとっても、S社の従業員の雇用を守る意味でもA社こそが最もS社を高く評価できる相手であり、B社が「他にも売り先がある」という強気に出られる立場だったわけではないはずです。それでも交渉の主導権をB社に握られてしまった背景には、A社側の交渉の進め方そのものにも原因がありました。

プロコンの検討を尽くさないまま「買収一本」で交渉に臨んでしまうと、こうした筋の通らない要求に対しても押し返す材料を欠いた状態になります。第三者間であれば成立する理屈が、損失の当事者間ではそのまま成立しない、という論点と、代替案の比較検討を尽くさない交渉は弱い、という論点は、今回のケースでは表裏一体でした。


5.デューデリジェンスを巡るすれ違い

価格面ではB社の言い値をほぼ受け入れる形で交渉を進めていたにもかかわらず、この交渉は結果的に長引くことになりました。理由は、価格そのものだけではなかったからです。B社はもともとS社に関する情報開示に積極的ではなく、「同じグループ内の関連会社なのだから、デューデリジェンスは不要、あるいは簡便なもので十分だろう」という姿勢を崩しませんでした。これに対してA社側は、金額の大小にかかわらず一定の水準のデューデリジェンスは必要だという考えで臨んでおり、この立場の違いが交渉の長期化に拍車をかけました。


6.交渉が長引いた末に

皮肉なことに、こうして交渉が長期化する間に建設費が急激に上昇し、最終的にはS社が保有していた工場設備の価値そのものが上がる形になりました。数字の上では、A社にとって著しく不利な決着にはならずに済んだというのが実情です。

ただし、これはあくまで交渉が長引いている間に外部環境が変化した結果にすぎません。当初の時点では、自前で改築・設備投資を行うという選択肢も十分に検討の余地があり、それを比較検討したうえで判断したのかどうかという交渉プロセスの妥当性とは、切り離して考えるべきだと思っています。


おわりに

繰越欠損金は、その価値がそのまま実現するとは限らないという技術的な論点に加えて、「誰が経営を主導してその欠損金を生じさせ、誰がその経営に関与できないまま影響だけを引き受けていたか」という支配権・責任の所在を踏まえないと、価格交渉の場で不適切に利用されかねません。そしてそれ以前の問題として、代替案とのプロコンを尽くさないまま「どうしても欲しい」という姿勢で交渉に臨めば、そもそも筋の通らない要求すら押し返せなくなります。状況に応じて判断が変わること自体は自然なことですが、それが検討を尽くした上での変化なのか、検討を省いた結果なのかは、後々の交渉力に大きく影響します。今回ご紹介したケースは、この点を教えてくれる事例だったと思います。

なお、この記事でご紹介した内容は、筆者が実務で見聞きした事例をもとにしていますが、特定を避けるため、登場する会社(A社・B社・S社)はいずれも仮の呼び方であり、会社の数や人物設定など、細部についても一般化・変更を加えています。全体としての流れや論点そのものは、実際の経緯に沿ったものです。繰越欠損金をどこまで買収価格に織り込めるか、また実際にどこまで使えるかは、個別のスキームによって結論が変わる専門的な論点です。実際に組織再編・株式取得を検討される際は、税理士・専門家の確認を取りながら進めていただくことをお勧めします。

この記事を読んで「自社グループの取引にも当てはまるかもしれない」と思っていただけたなら、それが一番です。もし「具体的な取引の設計を一緒に検討してほしい」という状況であれば、そのときはお声がけください。伴走する形でお手伝いします。


木村公認会計士事務所 木村 仁

 
 
 

最新記事

すべて表示
内部監査の「担い手」はどこにいるのか――逆ピラミッド組織と、儲からない部門というジレンマ

はじめに 内部監査の担い手不足は、比較的規模の小さい上場企業でも、中小企業でも、程度の差こそあれ共通して抱えている問題だと感じています。内部監査は会社の規模にかかわらず必要な機能ですが、そこに人を割ける会社は多くありません。 今回は、銀行員時代・その後の企業内会計士としての経験から見えてきた、内部監査の人員資源が置かれている構造的な事情と、その中でも実際に機能させるための工夫についてお伝えします。

 
 
 
万年赤字の親会社が、国際税務の「課」を育てなおした理由――専門家との橋渡し役という立ち位置

はじめに このシリーズでは、海外進出の各段階で顕在化したPE認定リスクと移転価格税制の論点を、5つのケースを通じてお伝えしてきました。出張所の役割変質(第1回)、限定的リスク事業者の赤字(第2回)、調整金の方向転換(第3回)、バイセル化後の損益シェアを巡る対立(第4回)、税務上の対価と管理会計の分離(第5回)。最終回となる今回は、これらの技術的な論点そのものではなく、これまでとは別の企業のケースを

 
 
 

コメント


bottom of page